ブルージーンズとは、そもそも何でしょう?リーバイスのジーンズは、長いこと労働者
の服とみなされ、中流階級以上の人間のヒンシュクを買ってきた。こうした状況が変化
し始めたのは、1950年代の西部であった。ジェームズ・ディーンのようなスターたちが
、ブルージーンをはいたカウボーイのかっこよさをアピールしたからだ。
60年代に入ると、誰もがデニムをはくようになった。着古し、色あせ、破れてツギ当て
たものが、かっこよく見えるようにさえなった。70年代に入ると、デザイナージーンズが
登場し、ちゃんとしたスラックスの何倍もの高さのジーンズが登場するようになった。
リーバイス・ジーンズの開発者は、1829年生まれのレープ・ストラウスである。
バイエルン王国生まれのレープは、母と2人の姉妹とともにアメリカへ渡った。
そしてレープという名前を、アメリカ風にリーバイに変えた。
ストラウスの兄二人は、数年前にアメリカへ渡り、ニューヨーク市で衣類の販売を
始めていた。ストラウスもこの仕事で生計を立てることにして、1848年に行商人
になり、ケンタッキーへ向かった。そして、布地、針、糸、ピン、ボタン、はさみ、リボン
などを売り歩いた。
いつの日か、店を構えて落ち着くことがストラウスの夢だった。歩いて行商をする
生活は、数年続き、やがて時代はゴールドラッシュに突入していった。1894年、
カリフォルニアで金が発見されたのだ。
何万人もの人間が一攫千金を夢見て金鉱を目指した。当時24歳のリーバイ・
ストラウスは、自分も金持ちになれると夢をみた。金の採掘ではなく、人口の流入
によって日用品が不足し、物価が上昇したからだ。ニューヨークより10倍の値段
で売れるようになった。ストラウスは、兄の店から品物を運び出して船に積み
込んだ。
船でサンフランシスコに到着したストラウスは、運んできた縫製品の需要が
想定外にすさまじいものであることを知らされた。航海の途中で、縫製品を
買いつける商船に出会い、テント用のキャンバス以外は、港に着く前に完売
してしまったからだ。
テント用のキャンバスしか売る物がなくなったストラウスは、それを売ろうとした。
そんな彼に、1人の男がこう言った。「そんなものより、ズボンを持ってないのかよ。
穴掘りしてると、ズボンが破けてしまうんだ」それを聞いたストラウスは、仕立て屋
へ行き、茶色のキャンバス布で、固くてゴワゴワした丈夫なズボンを作らせた。
もちろん、ズボンは完売した。
そこでストラウスは、キャンバス布をたくさん送るようにニューヨークの兄に手紙
を書いた。小さい衣料品店を開いたストラウスは、商船が入港する度に丈夫な布
を仕入れて、作業着を作り続けた。そして鉱山の野営地や町で、ズボンやその他
の衣料品を販売した。
キャンバス布では、体がこすれて痛くてたまらない、といような苦情を鉱夫から
直に聞いた。そんな彼らが好んでいたのは、フランスの「ニーム」で作られた
柔らかくて丈夫な綿織物のズボンだった。「serge de Nime」 というラベルが
貼られていたので、デニムと呼ばれたいた。そして、泥やシミが目立ちにくい
ことから、インディゴ・ブルーの藍色が好まれることも知った。
1853年、ストラウスは、デニム・ズボン専門の製造・販売会社である
リーバイ・ストラウス・アンド・カンパニー社を設立した。ズボンの製造には
金鉱の鉱夫の話から知り得た情報を活用した。ところが、道具や鉱石を
ポケットに入れることで、すぐにポケットが破れてしまうという文句が多かった。
それを解決する方法が、いつまで経っても見つからなかった。
そんな時、ネバダ州の小さい町の仕立て屋の男ジェイコブ・デービスが解決策を
見つけ出した。その仕立て屋にカバー・リベット付きのデニムの作業ズボンを注文
したのは、近くの木こりの男の女房だった。主人の仕事のために、どうしても丈夫な
作業ズボンが必要だったからだ。
亭主のズボンのポケットに、しょっちゅう穴が開くとこぼしていた。
そこでデービスは、一番丈夫な綾織の布を使うことにしたが、この時アイデアが閃いた。
ポケットに鋲を打つことだ。それは見事に成功し、鋲で補強した作業服を作って1年半
で200本を売ったのだ。
そこでジェイコブ・デービスは、「ポケットに鋲を打つこと」を特許申請することにした。
ところが、彼の妻が特許申請に反対した。特許申請料の68ドルが高過ぎるからだ。
申請料の68ドルを払ったら、離婚するといって反対したのだ。
仕方なくデービスは、リーバイ・ストラウス・アンド・カンパニーに手紙を書いた。
「申請料の68ドルを出してくれるなら、特許権を共有しても良い」と申し出たのだ。
そして、サンプルの帆布製のズボンと青いデニムのズボンを1本ずつ送り、次の
ような手紙を書いた。
「これらのズボンの秘密はポケットに打ち付けた鋲です。とても需要があり、生産
が間に合いません。帆布製は1本3ドル、ブルーの方は2ドル50セントで売って
おります。売れ行きが良くて同業者が嫉妬しています。特許を取らないと、すぐに
皆が真似するに違いありません。貴社が特許を取得されますようご提案いたします」
デービスの素朴な申し出を、リーバイ・ストラウスは即座に受け入れた。自社の
ズボンのポケットがすぐに破れてしまうという問題点を、これで解決できるからだ。
それが功を奏して、この方法を採用した最初の年、西部全域で、2万本以上
の鋲付きズボンを売りさばいたのだ。
銅製のカバー・リベットをデニムの作業ズボンのポケットに打ちつける、といった
現在のブルー・ジーンズの原型がこうして完成した。そして、リーバイ・ストラウス社
は、大企業となった。
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