ヒッピーとは66年頃にアメリカに登場した若者たちの集団である。体制社会からドロップ
アウトし、孤立しながらも自由奔放に群棲した。安い実用的なTシャツとベルボトムジーンズ
が彼らの普段着であった。ヒッピーの男たちは、体制社会のシンボルであるスーツを否定し、
女性たちも開放的なファッションで身を包んでいた。
そうしたヒッピー・ファッションが日本でブレークしたのは、68年頃だった。ヒッピーその
ものの影響より、当時のロックバンドのコピーといった方が当たっている。数万人のヒッピー
が集ったウッドストックのロックコンサートの映画がきっかけとなった。
ヒッピー・ファッションは結果として、ジーンズとTシャツを日本のヤングに定着させた。
当時は大半がジーンズのことをGパンと呼んでいた。戦前の日本人はジーンズをまったく
知らなかった。50年頃、米国の駐留軍の兵士たちが、休日にジーンズをはいて日本中を
歩くようになった。その時に初めてジーンズを見たのだ。兵士のことをGIといったので、GI
がはくパンツだから「Gパン」になったのだ。
50年頃にGパンに憧れた当時のヤングたちは、東京御徒町のアメ横で、GIたちが横流し
した中古ジーンズを手に入れた。50年後半には、ジーンズも日本の男性の間で流行し始
めた。全てがアメリカからの輸入品であった。
そして68年頃にヒッピー・ファッションの影響を受け、ジーンズが日本の若者の間に定着
したのだが、ベルボトム派とストレートジーンズ派の二つに分類された。リーバイス14オンス
デニム501はストレート派の間でブレークした。股上が浅くてベルトの位置が低く、幅広の
ベルトがヒップボーンまでずり下がる。そのスタイルは当時のズボン下げ族がスカマン・
スタイルにして流行させた。
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